7月30日(木)

とにかく夕方5時に仕事を終らせて、寮に戻る。冷蔵庫を整理してから、大阪の実家に帰る。8時に実家に着いたものの、近所のバス停からは 9時半発の関空行きが最終。それに乗るために慌てて荷造り。たかだか一週間の旅行なので、さほど時間はかからず。

予定通りのバスで 関空へ。10時半には到着。しかしである。飛行機の時間は1時50分。なんと、これから三時間半近くも暇をつぶさなければならない。 いくら関空が24時間空港でも、それに伴う交通機関が24時間じゃなけりゃ意味無し。しゃーなくローソンで買い食いしてから、ベンチで 爆睡。zzzzzzzzz

そろそろ時間かと腕時計をみるが、だいぶ寝たはずなのにさっきから20分しか進んでいない。じゃ、もう一眠り。 zzzzzzzzzz

、、、、、、、、、、んなあほな?空港の時計を見ると、そろそろチェックインの時間。簡単に言うと、腕時計の 電池切れたみたい。がはははは。失ってもいいように、安物の腕時計持ってきたのが思いっきり裏目に。幸先絶不調。これから一週間、 目覚し時計で時間を確認しなければならないことに決定。

けったくそ悪いまま機内へ。最近の仕事の疲れがたまっとるし、タイまでは 爆睡、、、、、、、の予定だったが、寝付いた頃に朝食がやってくる。だめだこりゃ。




7月31日(金)

早朝5時15分にバンコク到着。空港出たところでM山氏(前回の旅行でしりあった福岡人。中国語ペラペラなのに、現在タイで英語を勉強中というなぞの人物) と落ち合う予定。会えるかどうか不安を抱きつつ手荷物をとり、出口へ。

ん〜ん、速攻発見。とりあえず、荷物を置きにM山氏の家へタクシーで向かう。 到着。10畳ほどのワンルームの部屋。一人暮らしには十分な広さ。これで月に4300B(約1万五千円)也。タイはなかなか暮らし やすそうだ。

カンボジア大使館へビザを取りに行く。なにせ、BOBは明日カンボジアへ入るので、これが無いことには話に ならない。午前中に申請を済ますと、午後三時に取りに来いとのこと。

時間があるので、ワットアルンというお寺拝観へ。かの有名な チャオプラヤ川をボートでさかのぼり、到着。結構有名なお寺らしく、前回タイに来たときには行きそびれていたので今回寄ってみた のだが、タイの寺なんてどれも似たようなものだねぇ、ってのが正直な印象。あまりありがたみが分からないところをみると、BOBは あまり仏教には向いていないのかもしれない。

メシを食べたりしながら町をブラブラ。3時ころに大使館に戻る。ビザは無事にゲット。 なにやらM山氏は明日から中国へ行くらしく、カオサン通りにある旅行代理店にビザの申請を頼んでいるのでそれを取りに行くことに。 なつかしのカオサン通りへ向かう。ちょうど今、大学時代の友人K岡氏がタイでぶらぶら遊んでいると聞いてたので、キョロキョロ探して みるが、発見できず。偶然なんてそうそうないね。M山氏は無事中国ビザをゲット。

一旦家へ戻る。夜はなんとM山氏がタイのダンスバー へ連れて行ってくれた。キンキラの舞台でタイ人のおねぇちゃんが踊っている飲み屋さんである。そのおねぇちゃんにカウンターで買った 花の首飾りをあげると、一定時間一緒に踊ってくれるというシステム。私も首飾りを買い込み、いざ舞台へ。近くのおねぇちゃんに首飾りを 渡す。一緒に踊ってくれた。がはははは。きりのいいところでそのおねぇちゃんをテーブルへ呼んで、一緒に飲むことに。

さ、お話でも 、 、 、 、 、 、 、 、 、そのおねぇちゃんはタイ語しか話せない人だった。がくっ。さすがにこれではお話にならない。 いろいろカタコト英語でコミュニケーションを取ろうと頑張るが、ハローくらいしか通じなかった。ま、タイ人ローカルのお店を満喫 したということで大満足。しかし、M山氏はなんだかんだおねぇちゃんとタイ語で話をしていた。おそろしい奴だ。家に戻り、二人で 今後のアジア情勢について語りながら床についた。


8月1日(土)

本日、私はカンボジアへ、M山氏は中国へ。ちゅう訳で、朝からタクシー拾って出発。私は先にバンコク北バスターミナルで下車。M山氏 はそのまま空港へ。M山氏にお礼を言って、バス乗り場へ。

(ちなみに、BOBはこのときバンコク--プノンペン間の飛行機のチケットを 持っていたのだが、今年の春に外人に開放されたばっかりのアランヤプラテートという国境を越えてみたいが為に、あえてバスルートを 選んじゃいました。なぜ今までその国境が外人に開放されてなかったのか?簡単にいうとポルポト兵がいっぱいおって危なかったのね。 しかもこの時期はポルポトの死後初の総選挙が終ったばかり。結果如何では内戦かといわれた選挙の直後ですが、無事に期待された通りの 結果に終ったので、ついついカンボジアまで来ちゃいました。)

10時発のバスでアランヤプラテートに向かう。たまたま車中に英語の 話せるカンボジア人(ピボル)が乗っており、友達になる。15時には到着。あとはピボルと一緒にトゥクトゥクに乗ってボーダーへ。




ちゃっちゃとカンボジア入国。それからトラックタクシーに乗り換え、近くの町シソホンへ。このトラックタクシーがこれまた窮屈。 車内に七人、荷台には乗れるだけ人を乗せている。BOBは車内に乗ったのだが、も〜きつきつ。なんとかシソホンにたどり着く。

ピボルに別れを告げ、ホテルでも探そうかと思っていると、ピボルが友達の家へ一緒に来ないかと誘ってくれた。ホテルを探す手間が 省ける上に、現地人の家に泊まれるなんて、こりゃラッキーってことで、即快諾。2人で友達の家に向かう。

到着してビックリ。 思いっきりオール木製の高床式住居やった。ほとんど歴史の教科書の弥生時代級の建物である。今日はそこに泊めてもらえるそうだ。 イェ〜イ。中に入ると、老婦人と若者の二人暮し。疲れたでしょうし、お風呂でもどうぞってことになって、これまたビックリ。風呂と 言いながら、家の前の井戸で瓶に水汲んで水浴びしちゃいました。湯船を期待した自分が浅はかでした。がはは。

で、夕食タイム。老婦人 お手製のおかずが五品にご飯。家庭料理に舌鼓を打つ。で、その家の若者(ブンルーン)と話をしてみる。ここでかなりビックリ。 なんでもポルポト派の one star 階級ののソルジャーだなどと言っている。確かに体中傷だらけで、左手の親指がない。聞くと爆弾で吹き飛ばされた そうな。ん〜ん、本物や。まさかカンボジアに来たからって、ポルポト派の兵士の家に泊まることになるとは、 、 、 、 、 、 、  エエ経験や。

しかしピボルといいブンルーンといい、英語がうまい。聞いてみると、ピボルは英語の他にタイ語、中国語、すこしだけ日本語 まで話せるそうな。ブンルーンもフランス語とドイツ語が出来るらしく、ドイツ語で書かれたシアヌーク殿下の本を読んでいた。すごい奴らだ。

事あるごとに、なぜおまえは6年も英語を勉強してたのに、ほとんど話せないのか?と聞いてくる。まったくもってそのとおりだが、 日本の中高で英語の授業受けてただけでは話せるようにはならない、といくら言っても?顔をしていた。ま、おかしいといえばおかしな話ではあるね。

BOBは勇気をもって、ブンルーンにポルポトの話を振ってみた。するとここでまたまたビックリ。ポルポトは北朝鮮で生きてるといって聞かない。 いくらTVや新聞に死亡のニュースが報道されてたといっても、そりゃうそだといって聞かない。まじでそう信じている。おもしろいものだ。 話しつかれて、夜は爆睡。


8月2日(日)

6時頃起床。軽く水浴びをして出発。ここで重大なことに気づく.......泊めてもらった家の写真を撮り忘れていた。 とても貴重な体験だったにもかかわらず、写真に残せなかったことが悔やみきれない。

それはさておき、ブンルーンのHONDA  DREAMV(簡単にいうとカブ)に三人乗りして、トラックタクシー乗り場へ。途中2人に朝食をご馳走になる。お礼と言っては なんだが、記念になるよう日本の硬貨をプレゼントした。

トラックタクシー乗り場に着き、ビボルが先にプノンペン方面行きのトラックに 乗り、出発。その後、ブンルーンがシェムリアプ行きのトラックを見つけてくれ、私はそれに乗り込んだ。くれぐれも気をつけろと言って 見送ってくれた。ん〜ん、すばらしいカンボジア人コンビだった。

シェムリアプまでの道中は路面状況最悪。雨季のため、そこらじゅうが ぬかるみ。しかもでこぼこ。寝れたものではない。たまたま隣の席の人がカタコトだが英語が話せたので、退屈しのぎになる。しかも ガムくれたり、ジュースおごってくれたり、どうやらカンボジアは観光客に優しい国のようだ。

どうにかこうにかシェムリアプ到着。 変なバイクタクシーのおっちゃんの客引きトークに負け、日本人の多そうな宿に連れて行ってもらった。今回BOBは、ガイドブックとして 旅行人ノートなるものを使っている。詳しい情報が多く、僻地を旅するには便利なのだが、いまいち観光名所の解説文が貧弱。アンコールワット に関する知識ゼロのBOBは、観光ガイドとして地球の歩き方を読みたかったので、日本人の多そうな宿を選んだ。で、宿到着。予想を はるかに超えて日本人多し。ま、ええわ。

宿の日本人に歩き方を見せてもらい、その後は大好きなマーケット散策へで出かける。さすがに観光客目当てのみやげ物やは ぼってくるが、食事関係は安く、結構ええ感じ。Tシャツやビールを土産に買い、宿に戻る。戻ったはいいが、宿の日本人はハッパばっかり 吸っていて、タバコすら吸わないBOB的にはくだらなかったので、さっさと寝た。


8月3日(月)

今日は朝から大出費。リコンファームのためプノンペンへ電話で12$。プノンペン行きスピードボートのチケット買って25$。 アンコールワットの入場料で20$。ま、どれも避けられない出費なのであきらめる。バイクタクシーを一日5$で契約して、いざアンコールへ。

勉強不足のため、どこを見て周るべきか分からず、その辺はプロのバイタクのおっさんに任せる。まず連れてこられたところが、バイヨン。 よくアンコールと言えばこれ、って感じて知られている顔だらけのあれである。正確には、この遺跡はアンコールトムという遺跡の一部であり、 アンコールワットではないのだ。ご注意あれ。(私は知らなかったのだ。がはははは)

ん〜ん、ずばり顔だらけ。顔、顔、顔、顔、顔の連発。 しかもその一個一個のでかさが半端でない。ふぇ〜、って言いながら感動してるとき、私はビックリするものをみた。

なんと、横に 日本人おっちゃん・おばちゃんのツアーがいたのだ。総選挙の直後ってことで、こっちはかなり気合を入れてカンボジアに来たのだが、 まさかこんな政情不安定な時期に、ツアー旅行が実施されてるとは思わなかった。そのおっちゃん・おばちゃんたちはこの国の政情を 理解した上で、覚悟を決めてきたのだろうか?それとも知らぬが仏ってやつなのか?まぁツアーの客が来てるくらいだし、別に危険じゃ ないんだろうなぁって、妙に安心してしまった。

続いてアンコールワットへ。この寺は、真中に塔をいただく建物を回廊が囲んでいる 感じの作りになっている。で、先に回廊を回る。

南半分を見終わったところで、最大のピンチ到来!おもおしたのだ。もちろん周りに トイレなんて無い。しかし、でそうなものは止められない。そこでBOBは、意を決して野グソにトライした。神聖な太古の寺の境内で、 なんて罰当たりなことかは分かっていたが、自然の摂理には逆らえない。神も許してくれるだろうって勝手に解釈。草むらに駆け込む。 。 。 。 。 。 。 。 。 

終了。しかし、尻でも拭くかと思った瞬間、警備のおっさんが私に気づき咳払い。きちんと拭けたかどうか 確認するまもなく逃げ出す。その後、内部の塔の最上階に登り、ご本尊らしき仏像に手を合わす。、反省の意味をこめて賽銭ははずんどいた。

夕方までその他の小さな遺跡も見て周ったが、バイヨンとアンコールワットの二つがやはりずば抜けて感動的だった。一通りアンコールを 満喫(満足するには1日ではとても足りない)したので、シェムリアプの町へ戻る。

マーケットの屋台でジュースを頼む。 店員は、注文が来てから急いで氷を買いに行っていた。なんとものんびりした国である。


8月4日(火)

今日はプノンペンへ向かう日。5時半起床で船着場へ。船着場近辺は結構興味深い。水上生活者がたくさんいる。みんな小船で移動している。 ほのぼのした風景だ。が、のんびりしてるまもなくスピードボートに乗る。ここトレンサップ湖(かなりデカイ)から川を下ってプノンペンへ。 噂では、お金をケチってスピードボートではなくスローボートに乗ると、途中で盗賊に襲われるらしい。この噂のおかげで、思わず スピードボートを選んでしまった根性なしのBOBであった。

昼頃プノンペン着。”プノンペンといえばキャピトール”ってのを カンボジア旅行した人なら聞いたことがあるだろう。私も例にもれずキャピトールなる宿にチェックイン。チェックインの時に、宿の オヤジにビザを見せると”こりゃ空路入国ようやで。ベトナム大使館行ってかきなおしてもらわな” 

、 、 、 、 、 、 、 、ガク。 さんざん陸路入国でとお願いし、ビザ受け取り時に私も空路ビザに思ったので何度も陸路入国ビザであるかどうかを確認したビザにも関わらず、 思ったとおり、私の持っているのは空路入国用ビザだった。H○Sなんかに信用してビザを頼んだ自分が悔しい。
気を取り直して ベトナム大使館へ。ありゃりゃ、昼休み。

そこでキリングフィールドへ向かう。ここはポルポト政権時代に大量虐殺が行われた場所である。 到着。中へ入る。はっきりいって、怖がりの人はここへは行かない方がいいだろう。記念塔の中に、すごい数の人骨が積み上げられている。 この恐怖感は筆舌に尽くし難い。ただただ、自分がポルポト政権下のカンボジアに生まれなかったことを幸運に思った。説明文を読むと、 ポルポトはヒトラーより残虐だと書いてある。アウシュヴィッツに行ったがないので分からないが、比べるまでもなく、この残虐性に 異論をはさむ余地はない。かなりブルーになりながら、キリングフィールドを後にした。

ベトナム大使館にもどり、無事陸路入国に 変更終了。さきほどキリングフィールドでブルーになったばかりだが、次はツールスレーン刑務所博物館へ向かった。ここは元学校だったのだが、 ポルポト時代に刑務所として使われるようになったことろだ。もと教室であったであろう部屋に、鉄条網がはられ、壁には処刑された人々の 写真が貼られている。大勢の子供の顔も含まれている。処刑道具が再現され、展示されている。もと学校という建物に、よけいに恐怖心を 煽られた。何かを考えさせられるというか、何も考えれなくなるほど頭がパニクッた。やはり、妖怪やお化けよりも、人間が一番おそろしい。 同じ人間をこれだけ殺せるのだから。

気分転換に屋台でフルーツシェイク のんで、帰って寝た。明日はもうベトナムだ。




8月5日(水)

7時発の乗合タクシーでベトナムへ向かう。同乗者は日本人ばかりで合計4人。あまり会話も弾まず、単調に田舎道をベトナムに向けて タクシーは爆走。問題なく国境到着。ついついベトナムとカンボジアの両方の税関の建物が写るように記念撮影。さすがは陸続きの国。 日本では撮れない写真が撮れた。

ベトナム入国。とっととタクシーを捕まえ、ホーチミン市のファングーラオ通りに向かう。もちろん 、道中は相変わらず田舎丸出し。そろそろ田舎の景色にも飽きてきたなぁってところでホーチミン到着。さすがにベトナム一の商業都市 だけあり、結構賑わっている。

ファングーラオ通りに着き、一緒にタクシーに乗っていた長尾君(慈恵医大生)と共に宿探し。この辺に多い、 宿泊施設の許可を取っていない違法民宿で一泊3$のシングルが気に入り、そこに決定。トイレ、シャワー付き。これで3$はお得に感じる。 宿の人も、冷えたフルーツ(ドラゴンフルーツ。これが結構いける。)を分けてくれたり、なかなか。前回ベトナムに来たときにハノイで 泊まった3$の汚いドミとは大違い。
長尾君と共に街中散策へ。もちろんお目当てはマーケット。近くにある比較的大きなベンタン市場へ。 いろいろ物色していると、日本語の上手な女の子(5,6歳?)があーだこーだと案内してくれる。どこかの店の客引きなんだろうが、 やたらと日本語が上手だ。ついついからかいたくなって、”おっぱいちっちゃいね”なんて言うと、”スケベ”と返ってきた。おかげで、 この市場に来るたびに、この女の子に”スケベ”と言って追い掛け回される羽目になった。口は災いの元である。なかなか賑わっており、 商品も豊富なこの市場だが、すこし観光客向け過ぎる気がする。スリ等の被害も多いそうだ。今日はとりあえず見るだけ。買い物は後日に まわす。

どうやら白のアオザイ(ベトナムの民族衣装。ロングスカートでスリットの入ったのワンピみたいなの。)を制服に採用している 学校があるらしいと聞きつけ、長尾君と2人して鼻の下を伸ばしてその学校を探しにいく。散々探し回ったのだが、なかなか見つからず。 しまいには登下校の時間をとうに過ぎてしまった。断腸の思いであきらめる。

時間も時間なので、夕食へ。少し日本語の話せるおねぇちゃん がいる屋台に決定。牛鍋&チャーゾー(ベトナム春巻き)&ビアホイ(氷を入れて飲むベトナムビール)を注文。いずれも思ったより量が多く、 思いっきり暴飲暴食になる。結構ビアホイが効いたのか、こっちは宿に戻ってから気持ち悪くて吐いちゃいました。おかげで扇風機つけた ままで寝てしまい、翌日えらいことに、、、


8月6日(木)

すっかり風邪を引いてしまった。昨日のビールは抜けたのだが、めちゃめちゃ気分が悪い。頭も痛い。お腹も痛い。しかし、本日は クチトンネルツアーに参加することに決めているので、無理やり出かける。

ツアー最初の目的地はカオダイ寺院。なんでも世界中の 宗教を混ぜて一つにしたという新興宗教の総本山らしい。 、 、 、 、 、 、 、 くだらん。無宗教の私には、ただの派手な寺やった。 体調の悪さに拍車をかけられる。

つづいて、本日のメインであるクチトンネルへ。ここはすごい。ベトナム戦争時にベトナム軍が アメリカ軍の空襲や枯葉剤の散布に対抗するために掘ったトンネルなのであるが、規模が半端でない。トンネルの総距離は250kmで、3層構造 というから、松代大本営地下壕みたいな感じか?

ただのトンネルと思ったら大間違いだ。すっかり気分の悪さも吹っ飛んでしまった。 壊れた戦車が転がっていたり、アジア人しか入れないような小さなトンネルの入り口(西洋人なら膝までしかはいらなそうな大きさ)など、 なにかと興味を引かれるものが盛りだくさん。トンネル内は一部が観光用に入れるようになっているのだが、西洋人が入れるように トンネルの幅を広げたらしい。たしかに入ってみて分かったが、アジア人の私にとっても結構きついくらいの狭さだった。ま、面白い のでOK。ずばりおススメだ。思わずお土産にベトコン帽なんて買ってしまった。

体調も良くなり、上機嫌で宿に戻る。


8月7日(金)

最終日。朝から買い物に励む。ホーチミンTシャツ、刺繍入りコースター等を買い込み、ひとりでご満悦。ベトナムに未練なしってことで、 バイタクで空港に向かう。途中で大雨にあい、バイタクのにいちゃんと共にずぶ濡れ。昨日買ったベトナム菅笠かぶってみたが、ずぶ濡れ に変わりなし。空港で離陸前に写真を取って、心置きなくバンコクへ向かう。

バンコクへ無事到着。問題はそれからだった。そこで 関空行きの便に乗り換えだったのだが、乗り換えたはイイが、その飛行機が一向に離陸しない。トラブルが見つかったらしい。散々待たされた挙句、 機体変更になった。よって他の飛行機に乗り換える。やっとこ離陸にこぎつける。明日は朝から仕事だから、間に合ってよかったよー、 なんて思ってたら、離陸したにもかかわらず、機体から異音がするとかでバンコクに引き返すことに.....

バンコクに戻り、再び待たされる。この時点で明日の仕事に間に合わないことに決定。会社に電話をかけ、謝り倒す。【会社】『今どこや?』 【BOB】『バンコクの空港です。』【会社】『あほか!!』(以上、空港からかけた電話の内容より抜粋) 結局6時間15分遅れで 再離陸。ん〜ん、タイ航空はエエって聞いてたのに、裏切られまくりや。

やっと着いた関空でも一騒動。荷物が出てこない。いつまでたっても 出てこない。しまいには、荷物紛失報告書を作成させられる始末に。で、それを書き終わって税関をぬけようとしたら、やっと荷物が出てきた。 ん〜ん、アホくさ。会社の人に迷惑を掛けまくって、今回の旅もやっと終了。ん〜ん、タイ航空はもう乗らねぇー


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