1月19日(日)

ついに出発の日。昼頃起きたが、体に異変。右下のあご一帯が異常に腫れ上がっておたふくみたい。親知らずが原因のようだ。 慌てて病院に行こうにも今日は日曜日。電話帳で探した休日でもやってる病院へ急行。痛み止めをたんまりもらう。

このトラブルのおかげで準備に手間取り、慌てて出発。あ、潰れかけの汚いほうの靴はいてきてもうた。お父さんに大阪南港まで送ってもらい、 フェリー北九州の二等船室の片隅に荷物を下ろし、初日終了。ん〜ん、誕生日だってのに、初日からろくなことねーや。


1月20日(月)

朝8時に船は無事新門司港着。無料送迎バスでJR新門司駅へ。その後電車で韓国行きの船の出る下関へ移動。下関の駅からフェリーターミナルはすぐ。 しかし、このターミナルはすげー。早くも韓国の(キムチの?)匂いが充満。すでに外国気分。10時には釜山までのチケット購入。 しかし出航は夕方。あまりに暇なので下関観光。、、、、おもろない。

夕方フェリーターミナルに戻る。朝とは打って変わり、 たくさんの人がいる。ほとんど韓国人のようで、皆が皆荷物もめちゃめちゃ持っている。どうやら家電のようだ。韓国に持って行って 売るのかな?

時間が来て、乗船手続きのため列に並ぶ。ここでBOBの前にバックパックをもった兄ちゃん発見。彼の名はM山氏。 (注:今後BOBの人生に大きく影響を与えることになる)これからソウルでチケットを買ってインドへ行くそうだ。乗船してから 色々話を聞くと、一年半北京に留学しており中国語ぺらぺら。で、旅行好きで東南アジアはほとんど周ったとか。彼にこれから行く 予定の国の話を聞きながら、眠りについた。明日はいよいよBOB初のアジアの国、韓国入国だ。




1月21日(火)

朝5時前だというのに周りのコリアンおばちゃん達がごそごそウルサイ。目が覚める。船の中は相変わらずキムチの匂いで充満。 気がつきゃプサン港入港。入国はまったく問題無し。

そのままソウルに行くM山氏と別れ、プサンに一泊予定のBOBは、あらかじめ 地球の歩き方(以下歩き方)でめぼしをつけていた金剛旅人宿で宿を確保。荷物を置いてプサン観光に出かける。

まず、プサンタワー。上からはプサン一望。ま、金とるだけのことはあった。町中にも出かける。昼食は石焼きビビンバ。んーん、 うまい。韓国のキムチはなんか知らんが目茶目茶うまい!今までキムチなんて好きではなかったBOBだが、急に大好きになった。 さすが本場。あと面白かったのが、チャガルチ市場。生きたエイ、イカ、タコ、雷魚etcが売ってある。雷魚って、ちょっとまずそう。

そろそろ明日のソウル行きの電車の切符を買いにプサン駅へ。どの切符を買おうか悩んでいると、一人の韓国人が英語で声をかけてきた。 彼の名は金。彼も明日ソウルに行くらしいので、いっしょに行くことにした。なんでも光州から旅行にきている金氏、宿をまだ決めてないらしい。 じゃ、いっしょのところに泊るか、ってな訳で同じ宿に泊ることに。

それから二人で焼肉で夕食。お金のない私たちは牛肉は高いので、 ブタの焼肉。これが激ウマ!さすが韓国。焼肉の国。宿に戻ってからは二人で韓国と日本の話で盛りあがる。しかし、結構 英語のうまい金氏にくらべ、BOBの英語はヤバイ。たぶん言いたいことは分かってくれただろうと勝手に解釈。ええ気分で就寝。


1月22日(水)

6時起き。電車の時間は7時15分。金氏と一緒にソウルへ。車中二人とも曝睡。昼頃にはソウル到着。金氏に連れられ昼食へ。 牛の血を干したものの入ったスープを食す。かなり濃い口。

地下鉄ソウル駅のまえで金氏とお別れ。旅に出てから毎日人と出会う。 ええことだ。

地下鉄で鐘路駅まで出る。これまた歩き方でめぼしをつけていたテウォン旅館で宿確保。降りる駅を間違えたみたいで、 結構歩いてしもうた。部屋(ドミトリー)に入ると、M山氏の荷物発見。昨日からここに泊っているようだ。

荷物も置いた事だし、 町へ出る。まずは中国行きの船のチケットを買いに行く。プサンまでの船の中でM山氏に聞いておいた旅行社へ行ってみると、日本語ぺらぺらの おばちゃんが出てきて手続きしてくれる。しかしまー、このおばちゃんがよくしゃべる。どこの国でもおばちゃんはおばちゃんや。

部屋に戻るとM山氏も帰ってきていた。なんでも今日夜9時の飛行機でバンコクまで行くらしく、すこしして出発した。そのうちもう一人の 同室の日本人も帰ってきたので話をする。アジアのタカという詐欺師やインドのみどりさんという体を売りながら旅をする日本人など、 バックパッカーの間では有名な 話を聞かせてくれた。あと、ベトナムは気をつけろって言ってた。


1月23日(木)

早朝から部屋がゴソゴソうるさい。なんか変な声も聞こえる。よく聞いてると、日本語と英語と訳の分からん言葉の三ヶ国語で寝言を 言っている。朝になり、寝言のするほうを見てみると、変な外人さんがベッド寝ていた。話を聞いてみると、東京にすんでたことのあるという バングラディッシュ人やった。昨日は飲んで帰ってきたらしく、それでうるさかったようだ。

ソウル観光に出かける。まずは サンゲタンなるご飯をつめた鳥のスープを食べに。ちょっとさっぱりしすぎで物足りない感じ。

つづいて景福宮という旧王朝の宮殿へ。 なんだか中国と日本の中間的様式の建物。一人で韓国っぽいなと納得。まーここがソウル観光の目玉かなってところ。

昨日M山氏に 進められたチョンヤンリといういかがわしい通りにも行ってみる。儒教バリバリお硬い国のイメージの韓国ではめずらしく、いやらしい通りだ。 エッチ系の店がいっぱい。がはは。

急いで日本を出たので、間違ったつぶれかけの靴を履いて来てしまったので、東大門市場へ靴を 見にいく。BOBは見るからに日本人顔をしていたのだろう。”ナイキ!ナイキ!”をあらゆる靴屋で連発された。しかし韓国ではよく 靴を屋台で売ってた。変な感じ。とりあえず、アディダス(たぶん?)の安い靴をゲット。

晩ご飯を食べに南大門市場へ。韓国お好み焼き パジョンと生きた小さいタコの踊り食いに挑戦。これがウマイ!韓国の食べ物はすべてあたりだ。結構韓国気にいった。


1月24日(金)

今日は韓国最終日。あさ宿を出る用意をしていると、これまた今日船で中国にいくという日本人に会う。BOBは天津にいくのだが、 彼は青島に行くそうだ。

地下鉄で港のある東仁川駅へ。ソウルで移動はいつも地下鉄だったので、問題なく到着。乗船手続きのとき、 窓口のおっっさんが何を行ってるのかわからず、?顔しているとW1100って書いてくれた。出国税払えって事らしい。 あとは税関でメモ帳をじろじろ見られるが、”メモ用の紙やん”ってジェスチャーすると向こうも納得した様子。さっさと乗船。

部屋は10畳くらいの大部屋にカナダ人とBOBの二人だけ。早速そのカナダ人と友達になる。仁川港はどうやら高い場所にあるらしく、 外海の水面と高さが違う。港と外海の間にある堰で区切ったところがあり、そこで水面を調節して外海へ出ていく。(パナマ運河の 落差調整と同じやり方)

しかし船内暇である。同室のカナダ人・トッドと話をするが、さほど時間もたず。夕食を食べに7時頃食堂へ。 閉店間際だったらしく、あまったご飯とおかずを一皿ずつ余計にくれた。ラッキー。

満腹で部屋に戻ると、トッドも帰ってきていた。 どうやら彼は何年か韓国にすんでいたらしく、ハングルを少し話せるそうな。これは使える。とにかく暇なので、歩き方の後ろのほうに載ってた旅の中国語のコーナーで中国語の勉強してから寝る。 明日起きたらもう中国の予定。




1月25日(土)

どうせ到着は夕方だろうと言うことで、起きたのは昼過ぎ。風にあたりに外に出てびっくり。海が濁っていて黄色い。さすがは黄海。

3時過ぎには天津新港着。思ったより早くついたので、天津で一泊の予定をやめ、今日のうちに北京に行くことにした。トッドも今日北京までいくそうなので一緒に行くことに。すると トッドが船内で二人の韓国人と友達になったそうで、計四人で北京に行くことに。

港の税関を過ぎ、中国元に両替しようとするが、 両替所が閉まっている。歩き方の情報は当てにならん。M山氏にあらかじめ閉まってるだろうときいていたので、さほどびっくりはしなかった。

とりあえず、中国入国。四人で北京行きのミニバスに乗り込む。闇両替のおっさんがいたので、US$15だけ両替。レート悪い。しかし 乗り込んだミニバスがなかなか出発しない。どうやら客が十分集まらなかったようだ。

結局私たちもタクシーに乗りかえることに。 シャレードに運転手込みで5人+でっかい荷物5個をつめ込み、無理矢理発進。めちゃ重そうで、ろくにスピードでない。

2時間強で北京駅到着。しかしもう辺りは真っ暗。今日の宿をどうしようか考えてると、韓国人二人が”no problem”連発。不安になるが、 他に頼る人もいないし、この二人は悪い人じゃなさそうなので、付いていくことに。

するとこの韓国人の友達って人が現れて、皆で タクシーにのって中華料理屋へ。なんか知らんがおごってくれた。しかもその友達の彼女の家にみんなでおしかけ、そのままお泊り。 こりゃラッキー。中国初日、出だしは好調。


1月26日(日)

朝食に酒粕のような歯ざわりのコーンフレークのようなもが入った、くどい牛乳のような物を出してくれた。もちろんありがたく いただくが、好奇心だけで食べれるのも初めの3口まで。あとは結構きつかった、、、

昼頃にはみんな次の目的地に向かうことに。 私とトッドは、とりあえず近くの五つ星ホテルで両替を済ませ別れる。彼は早速北京での宿を押さえにいくようだ。私は次の目的地、西安 までの列車の切符を押さえに北京駅へ。北京駅で時刻表を買ってびっくり。西安行きの列車は、北京西駅から出ているらしい。

急いで 北京西駅へ。着いてびっくり。北京西駅、すんげーでかくてハイテクビルディング。どうも最近できたばかりのようだ。

中に入って 更にびっくり。かなりコンピューター化されている。発券もコンピューターを使用している。さっそく窓口で西安行きを頼む。28日は満席。 よって29日の便を取る。北京にあと三日滞在決定。

つづいて北京での宿探し。歩き方でめぼしを付けていた宿を数件回る。 安ホテルと記載されていたのに、何故かすべて高級ホテルだった。二度と歩き方は信じねぇ。結局、トッドの持っていたロンリープラネット (英語の旅行ガイド)から写し取った京華飯店へと向かう。

なんせいんちき手がきコピーのメモ頼りで探したので、その宿を見つけ 出したときにはすでに辺りは真っ暗。暗くなって宿の決まってない不安はたまらんもんがある。なんとか北京での宿を確保。


1月27日(月)

本日は北京最大のイベント、故宮観光へ。故宮とは、いわずと知れた清王朝時代の王宮(紫禁城)をそのまま博物館として開放している ものである。映画「ラストエンペラー」(ジョン・ローン主演)の舞台として有名。

早速公共バスにのって出かける。前門バスターミナル に到着。この前門のうらが、かの有名な「天安門広場」である。さっそく行ってみる。んーん、毛沢東色濃すぎ。天安門にどデカい肖像画、 中に入れば毛沢東が側近に囲まれた写真等など、もう真赤っか。さすがに広場にあの事件の面影は残っていないが、TVでみた戦車が 学生を追いかけまわしていたシーンがこの場所で撮られていたのかと思おうと、けっこう感慨深いものがある。

故宮(紫禁城)に はいる。入場券を買わないといけないのだが、中国には基本的に二つの種類の券がある。中国人用と外人用である。何が違うかって?そりゃ値段である。中国人と外国人では数倍の値段格差がある。もちろん私は中国人のまねして 現地人値段で購入を試みる。「一个」(一枚くれin中国語)と言ってみるが、いろいろ質問され、それに答えられなかったので、結局 外人料金で買わざるを得なかった。くそー。

しかしそのくやしさも中に入ると直に忘れてしまった。感動の嵐。「ラストエンペラー」 でみたそのままの光景が目の前に広がっている。気分はまさにジョン・ローン。しかも敷地が広い!北京の度真ん中にこれだけの大きさの 博物館があるのは贅沢だ。(東京の度真ん中にある皇居ぐらい贅沢だ。)一通り見終わると、もうくたくた。故宮観光だけで、まる一日かかった。


1月28日(火)

今日のメイン観光は万里の長城に決定。10時半頃宿を出て、北京北駅に向かう。この駅が結構小さな駅で、探すのに手間取るがなんとか 到着。

しかし、時刻表で時間を調べてショック!!長城行きの最終電車は、朝の9時24分に出てしまっていた、、、、、、、、、 ガクッ。昼にして本日のメインイベントを失う。

気を取り直して、西太后が作った庭、頤和園に行くことに。ここでは2元の現地人 入場券購入に成功。(外人料金は35元もした。)この公園は、西太后が造園にお金をかけ過ぎて、清がアヘン戦争に負ける原因になった といわれており、さすがに豪華な公園である。故宮とはまた違った趣があり面白い。

壁にいろいろな絵が描いてあったのだが、中国の 故事にちなんだもののようだ。三国誌を少し読んだことのあるBOBは、桃園の誓いらしき絵は何が描いてあるのかわかったが、さほど 理解出来ず。んーん、勉強不足がばれた。また公園の池がカチンコチンに凍りついており、氷づたいに池の奥の 建物に行けたりした。

万里の長城に行けなかったのは残念だが、頤和園もなかなかなものだった。


1月29日(水)

今日は北京最後の日。朝から西安行きの列車の中で食べる用の食品の買い出しに。宿の近所のスーパー(超級市場と書く)へ。適当に カップラーメン、水、パンなどを買い、列車での旅に備える。

昼前にはチェックアウトを済ませ、12時15分には北京西駅到着。 早めに来たので、搭乗時間とともに列車に乗り込む。中国の列車は、自分のスペースを確保するのが大変と聞いていたが、すんなりと 寝床、荷物置き場を確保。早くきて良かった。西安までは一晩。明日目がさめたときにはもう到着しているはずだ。


1月30日(木)

朝五時起床。少しお遅れたが、無事西安到着。まだ早朝なので、宿探しの前に次の目的の広州行きの切符を先に買うことに。まだ窓口の あく一時間半以上前だが、窓口で並ぶことに。

窓口開く。明後日の列車をくれと言うと、明日こないと買えないなどと言われる。明日 また早朝からここに来て並ぶのはダルイので、しゃーなく明日の便を買ってしまった。これで西安たったの一泊に決定。とほほ。

そうと決まれば今日は忙しい。さっさと宿を決め、観光に出かける。まずは三蔵法師がインドから 持ち帰った経典を納めるために作った寺、大雁塔へ。子供の時TVでみた西遊記気分を少し味わう。いうても大雁塔もただのでっかい塔 やった。

つづいて、西安観光の目玉、兵馬桶博物館へ。途中ついでだったので、秦始皇帝の墓へ。んーん、ただの丘やん。観光客は 私一人だけ。そこら辺にいる物売り全員が言い寄ってくる。うざい。3分で立ち去る。

やっと兵馬桶博物館へ。ここはすげー。館内 撮影禁止だったので、写真が撮れなかったのが残念だが、めちゃめちゃガツーンときた。すごい数の兵馬桶が埋まっている。これは一見の 価値アリ。ちゅうか、見なければこの感動は伝わらない。またしても外人料金とられたが、十分元とれたと思うくらいのすごさ。すげー。 大満足で宿に戻る。


1月31日(金)

古都西安、一泊で終了。ちとさびしい気もするが、広州行きの切符はすでにゲット済み。しゃーなく出発。

駅に到着。BOBが外人 だからだろうか、空調待ち合い室と言うええ部屋で出発時間まで待たしてくれた。しかも、その部屋にいるのはBOB一人。さらに、 時間になると、駅員さんが呼びに来てくれた。んーん、VIP待遇。
時間になり、列車に乗り込む。さっさとベッドと荷物の置き場所 確保。周りの人も席の確保が終わった頃、列車も出発。BOBの向かいの上段ベッドに趙君という17歳の少年がおり、その子と話を する。(お互いインチキ英語もしくは筆談)趙君は結構日本のことに詳しく、スラムダンクは最終回で”第一部 完”みたいなことを 書いてたが、第二部はいつ始まるんだ?とか、マイケル・ジョーダンが来日したとき見に行ったか?など、いろいろ聞いてきた。

こっちも中国人がどれほど日本について知ってるか聞いてみようと、ドラえもんの絵を書いてみた。”おー、機械猫!”って漢字で書いて くれた。結構わらけた。そんなこんなで盛りあがってると、趙君のお母さんが鶏唐と茹で卵とパンくれた。ラッキー。

その後、同じ 車両内の人が、入れ代わり立ち代わりやって来ては日本について質問してくる。”平均月収は?””パソコンの値段は?””外資の会社が 中国の郊外に工場建てれば、結構いけると思わんか?”などなど。結構適当に、嘘を折り混ぜつつ返事してしまった。がはは。

夕食時、 また趙君ファミリーに鶏唐もらって食べる。で、就寝。


2月1日(土)

今日も朝から質問攻め。張さんって人に延々語られる。お題は”中国、社会主義万歳”。何はともあれ、社会主義でOKって話だった。 うざいながらも話を最後まで聞いてやると、パンとソーセージくれた。目上の人の話は聞いてやるもんだね。

一難去ってまた一難。 昨日一番熱心に日本について聞いてきたサラリーマンが再び登場。またしても質問攻め。彼は広州近くの佛山市にすんでるらしく、時間が あればぜひ遊びに来いといって、ポケベルの番号を教えてくれた。ありがとうサラリーマン。でも多分ポケベル打たないよ。

しかし、 これまた目上の話は聞いてやるもんだ。夕食時に止まった駅で、駅弁を買ってきてくれた。しかも目茶目茶混んでる駅弁屋に並んで、 結局一つしか買えなかったその一つをBOBにくれた。”二つ買えなかったのか?”って聞くと、”いいから食え”って返事。この なべ焼き雑炊駅弁激ウマ!ありがとうサラリーマン。

到着時刻が近づく。しかし着く気配なし。どうやら大幅に遅れてるらしい。 さすが中国の列車。結局夕方到着予定が、実際に着いたのは夜中2時。さすがにもう言うことなし。しかし、張さんの話によると、明日の 朝までこのまま列車に30元で泊まれるらしいので、そうするに。

ところがどっこい、到着と同時に駅員に全員車外にほり出された。 さすが中国。私の語学力の問題か?とも思ったが、バリバリ中国語を話す(中国人なのであたりまえ)張さんも困り顔。さすが中国。 問答無用の国である。


2月2日(日)

一度広州に行った事のある人なら知ってるかもしれないが、治安はお世辞にも良くない街である。香港人の友人が、恐いので行きたくない と言ってたくらいだ。

その広州の駅前に、BOBは夜中2時にほっぽり出された。びっくらこいた。駅前には数千人に上る盲流 (仕事を求めて出てきたが職にありつけなかった田舎の中国人)と列車待ちの人でごったがえしている。その辺で寝てる人も多数。私も ここで野宿でええか、とも思ったが、歩き方にそれをすると身ぐるみ剥がされると書いてたのでやめる。

とにかくめぼしを付けていた、 広州駅内にある安宿を探す。なんとか発見。しかし宿の入り口は鎖がかかっており、入れない。どうしようか考えていると、宿泊客が一人 帰ってきて、その入り口を開けてもらっている。便乗して中へ。フロントのおねえちゃんを無理矢理起こしてなんとかチェックイン。 やっと就寝。

この日は朝から次の目的地南寧行きのチケットを取りに。しかし切符売り場はすごい人だかり。旅行会社に代行を頼もうと 行ってみるが、日曜で休みだったり、飛行機しか取り扱ってなかったりで断念。

観光に出かける。行ってみたのは清平路市場。ここは すごい。生きたままの食材が並んでいる。また、その食材がすごい。魚全般、鶏、ウコッケイ、キジ、カメ、ヘビ、犬、ヤギ、鴨、ウサギ、 カエル、しまいにゃシカまで売っている。生きてるものだけでなく、まるままローストされた犬とかが店頭にぶらさがっている。

ものの本によると、季節によってはサルとかも売ってるらしい。どうやって食うねん?んーん、中国人おそるべし。


2月3日(月)

今日は朝6時起き。何故かって?そりゃ列車の切符を買うためである。BOBが人生で、最も中国を肌で感じたのはこの日である。

5時半に窓口が開く事を昨日チェックしていたので、5時に起きようとしたが寝過ごした。ちょっと遅れで、6時過ぎに窓口へ。行って びっくり。窓口まだ閉まってた。

結局開いたのは7時頃。延々並ぶ。やっと窓口まであと数人のところまで来たのに、何故かそこで 窓口が閉まる。係りの人が口頭で行き先を聞き始めたので、BOBも行き先を書いた紙を見せる。何故か飛ばされる。

ちょっとして、 再び窓口開く。10時頃、やっと窓口到着。祈るような気持ちで欲しい列車の書いた紙を見せる。そこで一言「没有」(中国語でありません の意味)ガビーン。やはり言われたこの一言。第二、三候補を頼んでみても結果は変わらず。あきらめて列を外れる。

しかし待ってる 間中横は入りが絶えなかった。公安(中国の警察)らしき人が少し取り締まっていたが、公安自体やる気無いので効果なし。

そう いえば、駅の反対側にもう一つ切符売り場があったのを思い出し、そちらへ向かう。ここもすごい人ゴミ。ひたすら並ぶ。一度列から 押し出されたが、気合を入れてまた並ぶ。12時。ろくに仕事もしてないくせに、休みの時間だけは正確。窓口が休憩時間に入る。どこの 国も公務員はこんなものか?

12時45分、窓口再開。しかし、前にもましてまったく列が進まない。さすがに気の長いBOBも 2時頃に頭の中で”ブチンッ”と言う音がしたような気がして列を離れる。8時間かかって中国を満喫したと思う事にして、手ぶらで街へ。

途中、列車の切符を買いに来たと言う中国に留学中のカップルに会ったので、三人で今度は外人専用窓口へ行ってみる。(そんなん あるとは知らなかった、、、、とほほ) しかし、日本人はダメ、といわれて終わり。さすがに矢尽き刀折れたって感じ。さすがに 最春節(旧正月、中国で一番大きな祭日)直前に、さっさと切符買えると思ってたのが甘かったらしい。

しゃーなく、長距離バスを 当たってみる。300元で明日12時に来い、と言うチケット屋があったので、それにすべてを懸ける事に。あー、今日は疲れた。


2月4日(火)

昨日の約束の12時より早めにバスチケット屋へ。昨日相手してくれたおばちゃんがいなかったが、とりあえず南寧行き300元のやつ 頼むよ、って言ってみる。してその返事は「没有」。おいおい、ええ加減にせいよ、昨日のおばちゃんは有る言うたやんけ!!

半分切れて怒鳴っていると、昨日おばちゃんの横にいたおっさん登場。”南寧行きはこっちだ”ってことでバスターミナルへ連れてかれる。 南寧と書いたバス発見!ほっとしたのも束の間、おっさん曰”このバスは出ない。1時に出直してこい”。さすが中国。 他人の言う事は話し半分で信じましょう。

いったん宿に戻りチェックアウト。1時に出直してくる。今度は先程と違うバスに案内される。 とりあえず300元払って乗り込む。しかし、くれたレシートには20元と書いてある。んーん、ぼられたか?でもほかのチケット屋でも 南寧行きバス300元以上って値札ついてたしなぁ。真意のほどは今だ不明。

で、待つ事5時間半。6時半にやっとバス出発。もう ここまできたら、何時間待たされても腹も立たなくなってきた。慣れとは恐ろしいものだ。中国万歳。

しかし中国人には公衆道徳って のがないねぇ。みんなバスの中で唾吐くわ、吸い殻捨てるわ、ゴミ捨てるわ、しまいには鶏放し飼い。がはははは。


2月5日(水)

9時半ごろに大勢の客が降りているので目がさめる。南寧駅か?と聞くと、どうやら違うらしい。あれよあれよという間に、私以外全員 降りてしまう。

バスのおばちゃんに“どこに行くねん?”ときかれ、凭祥とこたえると、こっちだと言ってバスターミナルに連れて 行ってくれた。しかも凭祥行きのバスに直接連れて行ってくれた。“これに乗れば、17時には凭祥に着くよ”だって。これで明日には ベトナムに入れそうだ。

予定通り(?)一時間遅れで出発。到着までバスの車窓に見とれる。窓の外はまるで山水画の世界。 多分桂林などと同じ地質かいな?と勝手に解釈。なんだかんだで凭祥に18時に到着。

さっそく中国最後の宿探し。適当に近所のホテルに 入ってみる。予想通り外人お断り。そこで外人OK宿を教えてもらい、そっちに行ってみる。フロントでまず値段交渉。“一泊いくら?” “200元です”交渉以前の問題だった。もっと安い宿をそこで訪ね、そちらに移動。

こっちは一泊30元。ここに決定。フロントで 国境の越え方を念入りに聞き、明日に備える。寝る前TVつけたら、ビックリマン、らんま1/2、愛してるといってくれ等、日本の番組が やっていた。ちょっとビックリ。


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