3月7日(金)

今日の夕方の飛行機でバングラディッシュにことになっているので、お昼まで宿でのんびり。その後はあまったFECs(外貨兌換券)を 米ドルに闇両替するためにマーケットへ。11FECs→10US$に。ま、これくらいの手数料はしゃあないか。だって、ミャンマー出たら FECsなんてただの紙切れやもんね。もうやることもないので、早めに空港に行くことに。

ローカルバスと乗合トラック乗り継ぎ、 三時半には到着。まだチェックインが始まる時間までかなりあるのだが、一応ビーマンバングラディッシュ航空オフィスを覗きに行く。 そこでビックリ。すでの3時間遅れますとの張り紙がしてある。いきなりヤル気なし。するとそこへバンコクのミャンマー大使館で であった女の人二人に再会。三人で時間の潰し方に頭を悩ます。

そのとき滑走路を見てビックリ。ビーマンの機体発見!なんや、もうすぐ 乗り込めそうやね、何て思ったら、なんでもその飛行機は今からバンコクに行って帰ってきて、それでやっと私たちを載せてバングラディッシュに 飛び立つそうな。その飛行機がまだバンコクに向かって発っていないってことは、、、、、、、、、、簡単に計算してもこの時点で 6時間遅れ決定。さすがビーマン。

さすがにこれだけ遅れると、軽い夕食は支給してくれたのだが、何もすることの無い空港で時間を潰すのは ただただ退屈。なにしろっちゅうねん。


3月8日(土)

おいおい、飛行機まってたら日付変わってもうた。さすがビーマン。7日出発のものが8日出発になってしまったものの、なんとか 深夜に私たちを乗せて飛行機はバングラディッシュはダッカへ。機中BOBは爆睡。

気が付きゃ到着。いつも通りにイミグレ手続き。 パスポートにハンコを押してもらい、さて、町へ出ますかって時に係りのオッサンがどこのホテルに泊まるか聞いてきた。私の買った 航空券はダッカでのストップオーバー時のホテル込みになってるねんけど、 、 、 って答えると、係りのオッサン達がなにやらもめ始める。

どうやら、私はトランジットなので、別のカウンターに集合してからイミグレ通らずにホテルに行くことになっていたらしい。間違って 勝手にイミグレ抜けてしまうとこでした。がははは。さっき押された入国スタンプにバッテンをつけられ、二階のカウンターに連れてかれた。 ま、パスポートに面白いスタンプが増えたのですこしウキウキ。

ビーマンのバスに乗り込み、指定のホテルに連れてかれ、2ベッドルーム があてがわれる。そこで同じ飛行機に乗ってきた近畿大学生の田辺君と一緒にその部屋に泊まることに。寝る。

9時おき。朝ご飯食べる。どうやら昼食が1時半かららしいので、それまで田辺君とホテルの周りを散策へ。 。 。 。 。 。 。 何も無い。こらアカンわ、ってことで、昼食後はリクシャなるオート三輪バイクタクシーで街中へでることに。とりあえずダッカの中心地であろうシェラトンホテル前 で降りて、ダッカ探検。しかし、汚い街やねぇ〜。世界最貧国の一つを肌で感じる。

近くで大学の学園祭やってたので潜入。 屋台をみてまわる。するとその中にひときわ汚らしいサトウキビジュース屋さんあり。錆び錆びの絞り機にハエのたかっている サトウキビ。コップは汲み置きバケツで洗っている。田辺君と汚いねぇ〜なんて言ってると、屋台のオヤジが、私たちがジュースに 興味を持ってると勘違い。勝手に2人分作ってしまった。ここで気の弱いBOBは、いらないよ、なんて言えず ついついそれを購入。飲んじゃった。

ん〜ん、効き目バツグン!!飲んだ直後から腹イタ発生。耐え切れずにすぐにホテルに戻る。 夕食キャンセル。2回吐く。5分おきにトイレ。正露丸飲みまくる。。。。。。。。。。いっこうに良くなる気配なし。やられた。 でも、なんで一緒に飲んだ田辺君は平気やねん?納得いかん。




3月9日(日)

朝になってもお腹激イタ。とりあえず、パン一枚とバナナを胃に入れておく。正露丸飲んで二度寝。お昼に空港に向かう予定なので、 昼前に荷物を片付けてロビーに。

どうやら昼食を食べてから行くらしいのだが、もちろん私は昼まっからカレーを食える状態ではない。 腹痛いので飯はいらねーよってフロントの柄シャツ着た兄ちゃんにいうと、なんだか怪しい薬を一粒くれた。バングラディッシュで 見知らぬバングラディッシュ人からもらった緑の怪しい薬。普通の人なら口にするのをためらうだろう。

しかし、人生始まって以来の グレートな腹痛に見舞われているBOBにそんな判断力は残っていなかった。むかし現地の病気は現地の薬が一番ときいたことがある。 (どこで聞いたか不明)その言葉を信じてその薬を服用。、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、

 すごいね、一発で効いた。 さすがに全開とはいかないが、普通に行動できるようにまで回復!!やはり現地の病気は現地の薬に限るらしい。正露丸も万国共通では ないことを身をもって証明。ちゃっちゃと空港に行き、ネパールへ旅立つ。

インチキ航空会社ビーマンに振り回されはしたが、無事 ネパールはカトマンズに到着。他の乗客はタクシーで空港から市内へ向かっているが、金のない私は田辺君と共に近くのバス停まで歩き、 ローカルバスで市内へ。

バスに乗り込むと日本人発見。なにやら話を聞いてると、私と同じ大学へいってるらしい。どうも世界は狭い。 その日本人は、日本語を勉強中というネパール人(すこし日本語を話す)をつれており、しかもそのネパール人がやたらと世話好き。 ジョッチェンという安宿街についた私たちに、宿探しを手伝ってやるとうるさい。ま、じゃ〜おねがいねって思ったら、このネパール人が 歩くの速すぎ。すぐにはぐれちゃいました。

てなわけで、普通に宿探し。時間が遅いこともあり、いい宿は全部フル。ま、明日またいい宿 見つけたら移動しようということで、適当な宿に田辺君と一緒に部屋を取る。しかし、バングラディッシュはあんなに暑かったのに、 ネパールは日が落ちると結構寒い。今Tシャツしかもってないし、服買わないとねぇ〜。


3月10日(月)

すっかり腹痛も落ち着き(まだ下痢やけどね)、今日は朝から早起き。7時に起きて宿探しへ。近くにあるブッダゲストハウスというとこが 結構いい感じ。さっそくそっちへ移る事にする。

田辺君と一緒にメシ食って、それからは別行動。私は ネパールが予想以上に寒いので長袖を買いにいくことに。途中旧王宮博物館へ入る。ずばり、くだらん。ネパールに関する予備知識ゼロの BOBには全く面白くなかった。

さっさとインドラチョークというお店の並ぶ通りに。日本語で案内の出ている店の客引き兄ちゃんにつかまり、その店に入って見る。 いろいろ長袖のジャケットが売っている。結構気に入った服があり、300NRとかなり高かったが(日本円だと600円ちょいなんだけどね) その場で購入してしまう。

店をでると田辺君と偶然出会ったので、いっしょにエベレストステーキハウスという店で昼食。200g程度の でっかいステーキと大盛りごはんがわずか200NR。ネパールはやっぱ物価が安い。気に入った。食当たりあがりのせいもあり、思わず 結構残してしまった。

その後、先ほどかった服に刺繍屋で刺繍を入れてもらう。いかにもネパールという柄を選び、一人でご機嫌。 宿に帰り、ネパールでの予定を練る。明日はエベレストが見えるという街、ナガルコットにでも行こうかなぁ。


3月11日(火)

おいおい、なにがナガルコットやねん。朝からめちゃめちゃしんどいやんけ。体が動かん。頭が痛い。腹も痛い。下痢が止まらん。 そこでBOBは思った。”薬の効き目が切れたのねぇ〜” あの薬はすっごい効いてたみたいだ。切れたとたんに動けなくなった。

田辺君に付き添われ、なんとか近所のレストランでバナナラッシ−(バナナ入りヨーグルトジュース)を飲む。ついでに店のオヤジに 病院の場所を聞き、飲み終わるとその病院に駆け込んだ。あまりのしんどさに、脳裏に”アメーバ−赤痢”の文字が浮かぶ。とにかく 診察室へ。

英語のできる女医さんが見てくれた。英語のできないBOBは、とにかくゼスチャーで三日前から下痢が続いていると伝えた。 (たぶん伝わってたと思う。)すると”うんこは赤いか?”と質問されたのだが、BOBは質問が聞き取れなかったので、女医さんは赤い ペンを指差して”この色か?”とゼスチャーで返してきた。そこでやっと理解できた。で、”ブラウン”と答えると、脈とって診察終わり。 どうやら、なんてことはないただの食中りらしい。がはは。ちなみに診療費無料。

診断書を持って病院の向かいの薬局で薬を買い、 宿に戻る。とにかく薬飲んで寝るしかないね。

余談 私の行った病院、国立ビル病院は沢木耕太郎の深夜特急に登場する。本読んでてちょっと面白かった。


3月12日(水)

さすがに一日では治らんみたい。今日は寝てるだけ。食事以外に宿から出ず。ま、5分おきにトイレに行ってたので、ずっと横になってた 気分はしないけどね。、 、 、 、 、 、 、 、 ダメだこりゃ。


3月13日(木)

だいぶマシになった。このまま回復すれば、どうにか移動できそうだといくことで、明日の晩にインドに 向け出発することにする。日程上これ以上ネパールにいると、カルカッタ発の飛行機に間に合わなくなりそうなので。

おかげさまで ネパール観光は服買った一日だけ。あとはずっとベッドの上。 最悪。とにかく、まだ体がだるいので夕方までは部屋で横になっていた。

そのごインドのパトナ行きバスのチケットを買って帰ってくると、田辺君が結婚式があるので行かないかと誘ってくれた。どうやら 同じ宿にネパール語のできる日本人女性がいるらしく、その人に教えてもらったそうな。なんでも宿のおっちゃんの妹さんの結婚式 だそうで、私・田辺君・宿のおっちゃん・ネパール語OK日本人女性(あやのさん)の4人で結婚式会場へ。

行ってみると、どうやら 新婦側だけの披露宴って感じ。お酒にオードブル、バイキングの食事が振舞われる。もちろんタダ。一応ニコニコしながら新婦さんと 写真なんて撮ってみる。とにかく、ここ数日ベッドで寝たきりだったBOBはここぞとばかりに栄養補給に走る。案の定、食べ過ぎて 気持ち悪くなる。

しかし、ただ飯食えた上に、ネパールで結婚式に参加できるとは、ん〜ん、ええ経験になった。


3月14日(金)

かなり良くなった。食事もきちんと食べれるまでに回復。久しぶりにしっかり三食たべ、鋭気を養う。ネパール最終日なので、チベット料理に 挑戦。モモという餃子、チョウメンという焼きそばに舌鼓を打つ。お腹いっぱい。

バスの時間になり、田辺君がバス停まで見送りに来てくれた。 田辺君はもう少しネパールを回るそうなので、今日でお別れ。2人で写真を取り、出発。

しかし、ネパールは寝てたこと以外に思い出ありまへん。 とほほ。




3月15日(土)

バスの旅はきわめて順調。ちゅうか、順調すぎてインド国境の町ビールガンジに朝4時に到着してしまった。とにかく歩いて国境まで 行ってみる。

イミグレ覗いてみると掃除中じゃった。なんでもボスが6時に来るからまってろってことだった。ボケ−っとボス待ち。 ボス登場。このボスがやたらと陽気。変な片言日本語しゃべっては一人でバカウケ。しかしこのボス、6時に来たが仕事はまだしない らしい。お茶でも飲みに行こうってことで、ボス・子分(掃除してた人)・私でチャー(インドのミルクティー)をしばきに行く。もちろん ボスのおごり。その後ちょっとして、やっとイミグレで出国手続きしてくれた。

(余談;このボスは、帰国後見た猿岩石のビデオにおもいっきり 登場してた。猿岩石も私と同じ人から出国のハンコもらったのね。がはは)

歩いてインド側のイミグレへ。無事入国を果たす。 次の目的地パトナ行きのバスを探す。客引きがうるさい。へんてこな旅行代理店みたいなのを発見。バスチケットを買う。で、案内されて バス乗り場へ。バスに乗って出発を待ってるとき他の客が運転手から直接チケットを買っている。値段を見ると、私が買った値段の半分 以下。あいやー、またぼられてた。どうもその国の初日はぼられまくりである。物価とか分からんもんね。

なんだかんだでバスは 出発。途中ガンジス川横断。ガンジス川でかすぎ。何キロあるねん。

パトナ到着。とりあえず鉄道駅へ行く。荷物を預け、窓口で カルカッタ行きの切符を買おうとするが、インド人なぜかみんな冷たい。しかも英語がなまりまくっていて、何を言ってるか理解不能。そのうえ、日本の役所みたいに窓口を たらいまわしにされる。しまいにはここ2・3日は満席ですだって。だめだこりゃ。

しかしカルカッタ発の飛行機をすでに押さえている BOB的には、パトナでのんびりしてるわけにはいかない。近くにチケット屋があったので、そこでカルカッタまでの鉄道チケットを頼む。 結構高いが、窓口では埒があかないので仕方が無い。すったもんだで明日の夜発のチケットゲット。350ルピー(約1200円)もした。 とほほ。その時点で時刻はすでに夜8時。あたりは暗くなっている。 。 。 。 。 。 あ、宿まだ押さえてなかった。

慌てて宿探し。駅のリタイアリングルームなる乗客向けの安宿をあたってみるが、思いっきり断られた。何言ってるか分からなかったの で理由は不明。しゃーなく、荷物は預けっぱでツーリストバンガローという安宿へ向かう。駅からちょっと遠いが、他を当たる元気も 無く、そのままチェックイン。

夕食へ出かける。屋台でサモサ。思いっきり皿にハエが入ったままでてきた。そのハエをポイっと 捨ててサモサを頬張るBOB。すでに日本人的感覚が麻痺している。宿に戻ってこの日は終わり。


3月16日(日)

お昼にチェックアウト。駅前のバザールをうろつく。土産になりそうなものがろくにないので、へんな赤と白のゆでた団子みたいなお菓子 を食べただけでガンジス川へ向かう。

川沿いの通りをうろついてると、ガードを発見。もちろん川へでてみる。さすがガンジス川。 牛が水浴びしてる横でおばはんが沐浴中。そのさらにとなりで洗濯してる人もいる。なんでもありだ。もちろんBOBも沐浴でもなんて思うが、 脱いだ服と一緒にパスポートなどの貴重品を置いておくのが少し不安なので、仕方なくガンジス川の水で顔を洗うだけで辛抱する。

ん〜ん、これでも効果あるんじゃろか?ま、気分的にインド人に2・3歩近づいたような、 、 、 、 、 、 、 ちなみに川はタダの泥水に見えた。

駅に戻ると、昨日のチケット屋の店員につかまる。なんでもそのチケットはまだウェイティングなので、100ルピー出せば手続き終らせてやる とかぬかしている。無視。自分で駅構内へ行ってみる。MAY I HELP YOU というサインの掲げられたカウンターに人が集っている。 どうやらそのカウンターでチケットになにやら書き込んでもらうらしい。私もその人ごみに混ざる。チケットに車両番号7、ベッド番号39 と書き込まれる。近くに張り出された予約表にも私の名前がでている。どうやらこれで列車に乗っても問題なさそうだ。

時間になり、 ホームに列車が到着。7番車両を探すが、車両番号ばらばら。さすがインド。1から順番に番号つけようよと思うBOBはインド人にはなれなさそうだ。 なんとか7番車両を見つけ乗り込む。ベッド39を探す。発見。しかし、すでにそこにはおっさんが一人座っている。ま、今ちょっと座ってるだけだろう とおもい、横に座っておっさんがどくのを待つ。しかし、いっこうに退く気配なし。

列車出発。車掌さんが切符拝見に来る。これでこのおっさんも 退くだろうと思ったが、甘かった。おっさんも私と同じ番号の切符を持っている。どうやら一つのベッドに2人割り当てられてるらしい。 おいおい、このベッド、幅1mもないのにどうすんねん?

しかしさすがはインド。問答無用。私は進行方向側に頭を、おっさんは進行方向とは 逆向きに頭をむけて、一つのベッドで寝ることに。まさか外国の寝台列車でおっさんと添い寝することになるとは思わなんだ。とほほ。


3月17日(月)

朝方になると、乗客が結構おり始めたので、空いたベッドでなんとか睡眠を確保。うつらうつらしてるとカルカッタはハウラー駅到着。 そこからミニバスで地下鉄駅へ。その後、地下鉄とバスを乗り継いで空港へ。

明日早いので、今日は空港のリタイアリングルームへでも 泊まろうという魂胆。早速エアポートマネージャーに泊まりたいと言ってみるが、この人全くヤル気なし。すぐお茶を濁そうとするので、 しつこく聞いてみたのだが、結局夜9時に来いとか訳のわからんこと言われて終わり。

こりゃだめだってことで、カルカッタの安宿街 サダルストリートへ移動。昨日のおやじとの添い寝のため、宿探しに費やす気力なし。途中であった日本人のすすめるドミトリーにさっさと ベッドを押さえ、昼食へ。インドにもかかわらず中華を腹いっぱい食べてしまった。

近所のマーケットにお土産を見に行く。すると、そこで バングラディッシュに行くとき飛行機で同じだったおねぇさんに再会。バングラディッシュ国内を旅行してからカルカッタに来たそうな。 2人で一緒にマーケットをふらつき、食事をご一緒する。ちなみに今回はカレー&ナン。激ウマ。

カレーに満足したBOBは、明日の飛行機が 朝早いのでさっと帰って爆睡。


  3月18日(火)

BOBは早朝5時25分起床。しかし昨日隣のベッドの日本人おねぇさんとタクシーシェアで空港まで行く段取りにしていたので、その人待ち。 結局出発は6時ごろになってもうた。空港までは話に聞いてたとおり30分で到着。

そのおねぇさんの飛行機のほうが早かったのでお見送り。 その後私もチェックイン&税関チェック。いつも行った国のお金を記念で持ち帰るのだが、インドは自国通貨の持ち出しを禁止している。 税関では財布の中までチェックされるらしいとあらかじめ聞いていたので、カバンの奥にインドルピーを忍ばせ税関通過。大成功。さっさと 飛行機(インド国内航空)に乗り込む。

よく考えたら、起きてから今まで何も食べていない。めちゃめちゃ空腹。ひたすら機内食を待つ。 なんだかんだで、やっと機内食登場。ぺろりと平らげる。しかし、空腹収まらず。そこで、BOBは何を考えたかスチュワーデスさんに お代わりを要求。一旦断られるものの、なんとか余っていたベジタリアン用の食事をゲット。なんでも言うてみるもんやねぇ。

そうこうしてるうちに 飛行機はバンコク到着。さすがに三度目のタイ入国とあって、手馴れたもの。さっさとバスでカオサンへ。前回、前々回と同じフレンドリーGH に宿を取る。

航空券を頼んでおいた旅行代理店へチケットもらいに行く。店の奥さんに”インドどうだった?”なんて聞かれたが、ネパールで ひっくり返ってたなんて言うと爆笑された。今回の旅行も残り少なくなったのでみやげ物買いに出かける。念願のムエタイパンツ購入。 ん〜ん、大満足。




3月19日(水)

10時起きでチェックアウト。本日、タイから香港に移動なので、余ったタイバーツ処分を兼ねカオサンの西洋人向けカフェで西洋風朝食をとる。 といっても、ただオムレツとか食べただけ。さっさとローカルバスで空港に向かう。

12時ごろ到着。昼飯でも食べるかってことで、 この旅初めてのファーストフード、バーガーキングへ向かう。ん〜ん、やっぱジャンクフードはうまい。時間になり、搭乗待合室へ。 カバンにつけてた、ミャンマーで購入したセパタクローのボールが回りの人にバカウケ。香港人と北京人に囲まれ、談笑。なぜか名刺までいただいた。 台湾に来たら寄ってくれだって。ん〜ん、社交辞令か?

ボーディング開始。さすがに、中華航空はそこそこ高いだけあり快適。機内食は もちろん中華。うまい。しかし、機内放送の音楽番組は小室ファミリーのオンパレード。小室のアジアでの人気は本物じゃった。

香港が見えてくる。以前に香港の空港は(現在の空港ではなく、昔の空港)街中にあり、高層ビルすれすれで離着陸するときいてたので、 窓からそれを確かめる。ん〜ん、確かにみてるだけでもビルにぶつかるんちゃうっかって勢いで着陸。けっこうスリル感を満喫。窓側 リクエストしてよかった。続いて入国審査。この旅15回目の国境越えにて、初めてチェックのため荷物をあけられた。見た目が怪しかったのか? 問題なく通過。

バスに乗り間違えたりしたが、なんとか香港一有名な安宿集合ビル、重慶マンションに到着。しかし、時間が遅かったためか、 ほとんどの宿が満室。

何件か宿をまわり、、なんとか100HK$で泊まりたいとごねまくった挙句、荷物置き用の部屋なら100HK$ でええで、という宿を見つけ、香港での宿はそこに決定。荷物部屋に簡易ベッドを置いただけの部屋だが、一応TVとクーラーもあり、けっこう気に入る。

晩飯に出かける。香港の食事は期待していたのだが、3日間で予算1万円のBOBには香港での食事は高かった。以前バンコクで一つの噂を 聞いていた。”香港はマクドが一番安い食事らしい。なぜなら、舌の肥えた香港人は安くなければマクドになんて行かない。 ほかに行くらでもおいしい店はあるからね。”ってな訳で、マクドに向かった。ん〜ん、噂はホント。その辺の屋台よりもマクドのほうが安かった。

しかし、香港に来てまでマクド漬けとは、、 、 、 、 、 、 とほほ。


  3月20日(木)

今日は朝から中華航空のオフィスへ。BOBのもっているチケットは、明日(21日)に香港発台北経由で名古屋着の便である。しかし、 いきなり台湾にも2,3泊してみたくなったので、台北のストップオーバーできるように交渉しに行ったのだ。

オフィスのおねぇちゃん曰く、22,23日台北発名古屋行きは満席。24日はフライトなし。25日ならいいですよとのこと。もし 25日の便でにほんにかえったら、26日帰宅。んでもって、31日は入社式。(当時BOBは大学4年)その間で荷物まとめて引越し。 ん〜ん、こらきつい。よって台湾滞在は断腸の思いで却下。この時点で明日21日に日本への帰国が書類上決定。

オフィスを後にし、さっさとマカオへ向かう。マカオまでは 高速艇で1時間の船旅。船内で爆睡してると到着。一応ポルトガル領なので入国審査あり。通貨も変わる。しかし、BOBがマカオで最初にしたことは、 マクドで腹ごしらえ。かなり貧乏。

そのくせ、一番に向かった先はカジノ!!汚れたジーパン、首がビロビロの無地Tシャツ、埃まみれの バックパックという様相で進入。入って驚いた。中にはいかにも金持ちそうな人しかいなかった。あたりまえか?一応ブラックジャック、ルーレット、 スロット、大小などのゲームを見てまわる。みんなBOBの今回の旅の資金を全て足しても足りないような額で遊んでいる。ん〜ん、居場所がない。 はじき出されるように、カジノを後にする。

ほかにマカオで目的もなかったので、街中を散歩。変な展望台に到着。マカオを見下ろす。 香港から船で一時間とはいえ、けっこう町の雰囲気が異なっていることに気づく。香港より落ち着いた感じを受けた。雨も降ってきたので、 さっさと香港に戻る。


  3月21日(金)

香港の隣はシンセン経済特区である。香港からシンセンに行くときは、シンセンだけ入れまっせというビザを国境で取ることになる。 そのビザのハンコが欲しかった。よって、午後2時のフライトで名古屋に帰るにもかかわらず、7時おきでシンセンに向かうことに。

宿に荷物を預け、近くの九龍駅から電車で国境へ。40分で到着。さっさと目的のシンセン専用ビザをとり、中国再入国。 なんや、楽勝やん、何て思っていたら、中国への入国審査を抜けてビックリ!香港に入る側の入国審査が、朝から長蛇の列!! こらいかんってな訳で、シンセン滞在は20分で終了。

さっさと香港再入国の列に加わる。どうも中国から香港に入る人は怪しい人が多いらしく、 私の前の何人かが入国審査時に別室に連れていかれてた。私もパスポートに載っている就職活動時にとったきちんとした写真と、2ヶ月間アジアで ぶらぶらし終えた今の顔が余りに違うらしく、数分間顔を怪訝な顔つきで見つめられた。ま、問題なく通過。

あわてて九龍駅行きの列車に 乗り込む。この時点で10時48分。列車が九龍につき、荷物をとりに宿に走って戻る。骨折が完治してないので、走り方が胡散臭い。 まともに走れない。なんとか宿に着いた時点ですでに12時。歩き方によると、ここからバスで空港まで30分らしい。しかし、案の定 1時間もかかってしまった。2時のフライトなのに、空港に着いたら1時回ってました。

慌ててチェックイン。しかし、出国税分のHK$を 持ち合わせてなく、しかもUS$払いはできないとのこと。慌てて両替所へ。出国手続き終え、なんとか搭乗待合室に行った時には、すでに ボーディングが始まっていた。ん〜ん、危機一髪間に合った。




機内で中華料理に舌鼓を打ってる間に、台北空港到着。

乗り換え待ちは45分。その間に一回空港でたろかとも思ったが、ほんの数時間前まで 飛行機に遅れそうであたふたしてたおかげで、びびって何も出来ず。静かに空港で台湾滞在45分間を満喫。(空港探検しただけ。)



ついに帰国

台北からは2時間で名古屋に着いた。さすがに行ってきた国があやしかったのか、日本入国時はかなりカバンを調べられた。 もちろん無事に入国審査完了。

バスで名古屋駅に向かう。で、一晩名古屋でとまって、明日近鉄電車で大阪に帰ろうと思っていたが、宿泊費の こと考えると今日中に新幹線に乗って大阪帰るほうが安いことに気づく。

新幹線の切符購入。ここでビックリ。たかだか大阪ー名古屋間で 5560円もした。アジア旅行の後の日本の物価は体に悪いね。こうして日本の物価に打ちひしがれ、BOBの2ヶ月ちょいにわたる アジアいんちき旅行は幕を閉じるのであった。


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