動機 1998年末、BOBは会社を辞めた

なぜ会社を辞めたのか?辞めるに当たり、会社の上の人間からは”この不況では再就職先もあんまりないやろう” と、いらぬお世話まで焼かれた。”辞めたいから辞めるねん。ほっといてくれ!”と心の中で毒づいたものの、資格も特技もないBOBにとって、 ある意味的と得たコメントではある。

しかし、あの会社でこれ以上人生を無駄にする気はなかった。どうも会社の考え方と私の人生プランに ギャップがありすぎ。将来的には子供と日曜日にキャッチボールをするマイホームパパが目標のBOB、入社一年目から朝二時半から夜八時半まで仕事をさせる会社。 そりゃ折り合いつかんわ、って話である。

だからといって、闇雲に会社を辞めたところで急にマイホームパパになれるわけでもない。 今転職したところで、私の能力では何も変わりはしないだろう。

どうも周りの人間の話を聞いてると、日本の企業で働くと言うのは、 会社と国に搾取されるだけのような気がしてならない。国別平均年間労働時間を見ても、日本人の働き方は狂っている。(ちなみに、 ドイツの九五年度平均労働時間は一五八一時間で、日本より年間約三三〇時間少ない。しかし、ドイツと日本のGNPは同様。) こうなったら海外でも行って働くか、って考えたところで、英語が高校時代赤点だったBOBを外国の企業が雇うわきゃない。ん〜ん、人生八方塞がりか?

しかし、どうしてもマイホームパパの夢があきらめきれないBOBは、仕方なく英語の勉強を決意。そもそもBOBが英語を話せないのは 日本に住んでるからだ、っと自分の努力は棚にあげ、さっさと海外逃亡を企てる。

調べてみると、ワーキングホリデーなるビザを取れば、 一年間働きながら外国で暮らせると言うではないか!!1年8ヶ月しか会社勤めをしてないので貯金の額がたかが知れてるBOBは、 即座にワーホリすることを決定。

しかもカナダはワーホリビザ切れても、観光ビザに切り替えればプラス一年の計二年滞在できるとしり、 カナダに一年半、その後は中国でも行って貯金なくなるまで中国語の勉強しよーっ(中国はなんでも安そうという勝手な思い込みによる)と計画。

英語なんてカナダに三ヶ月もおったらペラペラになると勝手に思い込んでいるBOBは、不安一つなく関西国際空港を後にするのであった!!

 準備
1998年春カナダのワーキングホリデービザ申請
1998年秋抽選に当たり、ワーキングホリデーの資格をゲット
1999年4月荷造りを二時間で済ますと、たいした予定も計画も立てぬまま日本を飛び立つ
・海外傷害保険一年間有効のもの(8万円以上)
・航空券(大韓航空)ロスまでの2ヶ月往復FIX(\45,000)
・ビザ 一年有効のワーキングホリデー
・T/C4.500US$
・滞在予定都市未定
             
 装備
服装着の身着のまま
持ち物
・ T/C・着替え・カメラ・薬
・寝袋・洗面用具
・ガイドブック
 (地球の歩き方 カナダ)


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