何を隠そう、素モグラ−椋本の両親は福岡住まい。ってなことで、我々は福岡に移動することになった。 もちろん原付などでこの熊本県天草郡苓北町に
来ているのは私だけ。当然、福岡までの行程は他の二人とは別。私はフェリーで長崎に渡り、そこから佐賀経由で福岡を目指すことに。他の二人も
同じルートだが、フェリーの後は電車。
原付の私のほうが時間がかかりそうだったので、二人より先に
富岡港--茂木港のフェリーで長崎へ。去年来たときに長崎市内観光はしたので、今回はパス。一路福岡を目指す。もちろん佐賀県を横切ることになるのだが、
BOBの知識の中に佐賀県の観光スポットは吉野ケ里遺跡しかない。しかも近くを通ったにもかかわらず、よらずじまい。佐賀でした事といえば、
ガソリンの補給だけ。がはは。さっさと福岡県へはいる。
九州産業大学の近所にある椋本邸に着いたのは、なんと電車をつかった二人より先!原付速し!数時間遅れで椋本&向の
両氏到着。椋本のお母さんにモツ鍋ディナーをご馳走になり、三人で夜の福岡の町へ繰り出す。
夜の福岡の遊び場と言えば、九州では敵なし、”親不孝通り”である。なぜ親不幸なのか?その理由は、”予備校と歓楽街が一つになった通りである”
といえばお分かりいただけるだろう。 てな訳で、私たち一行も、親不孝な遊び、”ツーショットダイアル”に挑戦することに。
収穫なし
無駄金を使った私たちは、とぼとぼ岐路に就くことに、、、、、、、こうして福岡のやるせない夜は更けていくのであった
昨日の”収穫なし”に気を悪くしたのか、翌朝向が急に”帰る!”と言って聞かない。あと2,3日は福岡で遊ぶ予定だったのに、宣言どおり
向はその日の朝に電車に乗って奈良へ帰ってしまった。
向のあまりに急な行動に少しビックラこいた私も、昼過ぎには宮崎に向け出発することに。たぶん数百キロはあろう宮崎までの道のりを
何も考えずに、BOBは大宰府を観光したりはしたもののひたすら南下。もちろん常にフルスロットル。しかし、なんやね。JOGってすごいね。
何時間フルスロットルで走っても、何の故障もなく私を宮崎まで連れてってくれた。スゲ−ぜ。
なんとか夜に宮崎到着。あたりは真っ暗。もちろん宿の当てはなし。野宿でもしようと場所を探してみるが、いいとこなし。しゃーなく
電話帳で安いビジネスホテルを検索。一泊5千円のところをなんとか押さえてようやく就寝。さすがにこの日は原付乗りすぎた。
今日は九州最後の日。フェリーの時間は夕方。よって以前熊本の叔母から聞いていた、宮崎にあるという世界一のつり橋を見に行くことに決定。
ずばり、デカかった。すごい高さだった。しかし、いかんせん造りがしっかりしすぎており、恐怖のあまりどうこうってほどすごくもなかった。
高所恐怖症とは無縁の私にとって、入場料払ってまで行く価値があったかどうかは疑問。
しかも結構宮崎市内から近かったので、夕方までまだ時間がある。よって、えびの高原まで足を伸ばすことに。べつに何を見に行くって訳でも
ないので、えびの高原をふらふら走る。気が付くと霧島町ってなとこまで来ていた。”??、霧島?、、、、、、、、あ、鹿児島県突入してもうた。”
こうしてBOBは計画になかった鹿児島県まで来てしまっていた。これで九州全県制覇!! しかしここで時計を見てビックリ。
そろそろ岐路に就かなければフェリーに間に合わない。ってな訳で、鹿児島県は20分ほどしかいなかったが、宮崎のフェリー乗り場へむかう。
あとはもう船乗って大阪に帰るだけ。お疲れ様でした。
(おまけ話) 九州全県制覇した私のJOGスポ。3ヵ月後に最寄の駅で盗難にあい、未だ行方知れず。二度と南海金剛駅に原付は止めねぇ。(泣)
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